行燈

そういう中で小さな日本から来た若い坊さんということで随分とどうげんもその外国人の差別のようなものであったりとかで自分いじめのようなこともあったんだろうと思います。

すごいのはどうげんはその時に時の皇帝に手紙を書いて極東の日本という国から自分は命がけで中国に渡ってきた当時は命がけですからね飛行機デビューじゃないですから船でね時間をかけて中国まで渡って本当に命がけでそこのお寺に行きあたってねあの自分の師匠として認めたその先生から教えを請いたいと思ってすごいたくさんの修行僧の中に十分を投げ入れたわけですね。

そこでいい思いどころか嫌な思いばかりなさってたということが昔の園どうげんさんの書かれたものを書くと熱涙あの嫌な思いとおっしゃってないんです。

けども様々な体験をなさったんだなっていうことがそこから推測されるような文章を残ってるわけですね。

<br />